012
きっと誰も助けてくれないし、助けてもらうことすら烏滸がましいと思う。
追い詰められると自死しそうになるつむぎです。この間自分のミスに自分自身で気付いてしまい希死念慮がむくむく育っています。というより、自分のミスが与える影響が大きすぎて茫然としています。自分一人の問題ではないのでこれまた大変。自分だけに影響があるのならどうでもいいと思うけど、今回はかなり広範囲に迷惑をかける事態。
無責任に逃げることも許されないし、してはいけないと思うからこそ、しんどさも倍に。当然だけど、自分に責任があるので最後までやり抜きます。そのあとの自分の体調は神のみぞ知るということで。
自分の生命にも責任持てないのに、他人に関わる事案の責任を負いたがるって本当に馬鹿ですね。半年前くらいの自分をちょっと殴りたい。私をよく知るお人はこういう自分をよく叱ってくれます。有り難い限りです。けれど最近は、なんだか裏があるんじゃないかとか、本当は快く思ってないんじゃないかとか、そういう考えに囚われて申し訳ない気持ちです。私のことを大切に思ってもらえてる人に対しては誠実でありたいし、信頼したいのに、それもままならない。捨てられるのが怖いから、捨てられる前に、何か自分で正当な理由をつけて遠ざけたいのかな……。とはいえ昔から自分自身に対しての信用はゼロなので、全くこの推察もアテにならない笑
とりあえずもうそろそろ手をつけて、あとで来るダメージを減らさなきゃ。
011
春らしくなってきましたね。
特筆して辛いことはないのに、ずっとぼーっとしてふわふわしています。憂鬱かもしれません。眠いです。今日は天気が良くないのでとりわけ眠気が強い。
電車に揺られていると、そのままどこか誰も自分のことを知らない場所に行きたくなります。窓の外をぼんやり眺めながら揺られていると、ゆっくりと静かに死に近付いているような気持ちになるからです。まあつまりは死にたくなるってだけです。
今日は朝から満員電車に乗って出勤です。最近は電車内で深い河という本を読むことが多いです。冒頭の妻を末期癌で亡くした男性の描写がとても好きで、なんというか、不器用な夫の哀しみがリアルで、切なくなります。
薄暗い雨の日はだめです。わけもなく死にたくなる。傷つけたくなる。最悪な日だ。
010
こんな夜には昔のことを思い出してしまう。
たとえば昔の不調は、アイデンティティの確立が上手くなされていなかったことによるものだと考えるようになった。じゃあ今はどうなんだと問われると、恥ずかしいけれどまだモラトリアム期間だとしか言えない。私はまだ自分自身がどんな人間で、どんな役割を持てばいいのかなんてわからないし、見つけられてもいない。自分らしさってなんだ。どうせ個性もすべてあと数年もすれば刈り取られて、みな同一に均されるというのに。自分の理想と似ても似つかない現実を受け入れられないまま、ここまで生きてきた。
けれどやっぱり確実に成長していて、ある程度は自分の現状を受け入れられるようになったし、納得も満足もしてると思う。高校時代、絶対に行けないだろう(その前に自殺してるだろう)と思っていた大学に通い、何とか一年修めた。友人だってできたし、心を許し、健全であろうと思える恋人だってできた。それなのに私は未だのろのろと自分に折り合いをつける段階から抜け出せていない。周りに置いて行かれることを一番恐れているのに、まだまだ甘えたまま。
人は怖いし、目線を合わせられると緊張するし、ひそひそ話されると自分のことだと思っちゃうし、変だと思われてないかとか、嫌われてるんだとか思うのも治らない。私が死んだって、代わりはいっぱいいる。こんな欠陥だらけの人間なんてきっと消えても誰も困らない。人の記憶に残っているなんてきれいごと信じないし、忘れてほしいとすら思う。それでも悲しんでほしいとか、覚えててほしいとか矛盾したことを考えてる。生きている意味は本当にあるんだろうか。私にしかできないことって何。私にできることなんて他の人にもできる。
じゃあどうして、なんで私は未だにこうやって酸素を消費して生きてるんだろう。
009
大切なものをなくしました。携帯です。
自分の馬鹿な行動でなくしたので非常に落ち込んでいます。金銭的にも、本体にもあまり思い入れがないのですが(バックアップ済)、それでもやはりダメージが大きく、精神状態が非常に悪いです。
ショップ店員さんに聞いてみたところ、紛失した携帯が手元に戻ってくる確率は5割以下だそうで、もはや諦めています。これで買ったばかりとかだったら……考えるだけで恐ろしいです。
影響を受けやすくなっていたのか、症状が悪化しました。電車に乗れば動悸と不安感が強く、バイトも喧騒に耐えられずミスを連発。なんだか、ぼーっとしてしまって、周りのことを認識するのに時間がかかるのです。極め付けにそのミスでさらに落ち込むという。悪循環に嵌ってしまいました。
けれどもう、高校生じゃないから、自分のことは自分でしなきゃいけない。中途半端なことをして、万一入院したとしたら、その費用で割りを食うのは家計だし、自分だし。リスカだって働く以上見えるところにはできない。通院だって、費用を考えると難しい。
昔は人間関係と成績で自分を潰したけれど、今は将来とお金で自分を潰しかけてる。
お金なんて喚こうが、何しようがすぐに解決する問題ではないし、将来だって今のこんな不安定さが残ったままでは生きていけない。
どうしてこうなっちゃったんだろう、とか昔のことに固執することをやめたい。以前よりかはまともになってきてるけれど、やっぱり症状に理由を押し付けてしまうのをやめたい。というよりか病気だって思うのをやめたい。
いつまでこうやって甘えてるんだろう私。
008
一日のお休みをのんびりと過ごしました。
これで明日からも頑張れそうです。
早くも三月中旬になりまして、大学生が履修に悩み始める時期が来ましたね。かくいう私もビール片手にシラバスを参照しながら組み立ててみました。正直、朝が早い典型的な単位落下型時間割ができてしまいました。
あとで苦しい思いをしたくない一心で組んだし仕方ないかな。
そういえば、最近"Tattoos Over Scars: Reclaiming Your Body | Tattoodo"という記事を読みました。瘢痕の上に施すタトゥーなのですが、どれもうまく調和していたり、心に刺さるような言葉だったり、なんというか。こういうアイディアが受け入れられる世の中になればいいのにって。少なくとも日本で刺青を入れるということは、危険性の高い行為です。日本での刺青の歴史が影響しているのか、現在でも社会通念上いい意味は持たないし、プールなどは以ての外で、門前払い。他の人からは敬遠され、白い目で見られることが多くなるでしょう。それでも、やっぱり、こういうアイディアは素直に感動します。まあいろいろな意見があるだろうけど。
ちなみに私自身に刺青は入ってないです。ピアスはそれなりに空いてるけれど、タトゥーは好みが変わったら面倒そうなので……。
最近、再び家の中で剃刀の大捜索を始めた(至る所に昔隠した剃刀が残ってる)ので私の腕が汚くなる日も近いでしょう。
本当はもっと平和的な解決方法を探すべきなんでしょうけど、他の方法といっても服だのなんだのを爆買いするか、誰にも何も言わずに旅行するか(当然莫大な費用がかかる)、それとも……。みたいな、まったく平和的でない解決方法しか取れないので、自分の財布にやさしく、他人に迷惑をかけず、なおかつ効率的に衝動を逃がすのに最適なのはやはり自傷なのです。本当にどうしてこんな屑みたいな人間になってしまったのか私……。
けれど、
仮に目の前にリセットボタンがあったとしたら、昔とは違って、少しは押すことを躊躇うと思う。ちょっとは成長した。頑張りたい。
とりあえずちょっとお酒飲んで刹那的な歓びを得てくるね。
アルコール依存症への道を突き進んでますつむぎでした。それではまた。
006
明日はおやすみ(1日完全オフ)
もうね、どのくらいこのおやすみを待ち望んだかといったらね!今日も普通にお仕事があるけど元気に働けるレベルで明日のおやすみが待ち遠しいです。
明日は溜まっているタスクを消費したいと思います。書類記入に授業組み立て、お部屋のお掃除に、読書もしようかな。楽しみ。
さてさて勤務が終わったところ(24:00)ですが、終電に揺られています。帰宅途中にCoccoを聞くのが好きです。家に帰るというイメージよりも、そのまま死にに行くイメージが浮かんでくるから。表面上明るく、お喋りにも勤しむことが多いので、溌剌とした印象を与えることが多いらしいのですが、その実、内面は真逆。集中し、他のことに気を向ける余裕がない時なら、問題ないのですが……。一旦、他のことを考える余裕が生まれてしまうと、考えなくてもいいだろうことを考えてしまいます。
今日も、将来に対する不安を少しだけ(ほんの少しだけ)人生の先輩に吐露したところ、励まされました。「人生どうにでもなる」って。
分かってはいるんです。選り好みさえ無ければ、裕福ではないが人並みの生活はできるだろうということ、とても幸せとは言えないだろうけど、些細な喜びはあるだろうということ。
けれど、なぜかそれを私は認められない。どうしてだろう。目指すのは聖人みたいな完璧な人なのは何故だろう。
完璧主義的なところがなければ、妄想的なところがなければ、もっと人に興味がなければ、もっともっともっとって、絶えず欲に塗れてる。
手に入れられるものなんて、限られているのに、どうして全てに手を伸ばしてしまうのだろう。
馬鹿みたいなことに傷ついて、馬鹿だ馬鹿だと思いながらも、分かっていながらも、精神は疲弊していく。
005
つかれがたまっています
春が近づくにつれてメンタルバランスが崩れて行くのは何故なのでしょう。
卒業出来なかった母校の制服を着る高校生たちを見ると切なくなります。卒業したかったとか、もっとちゃんと楽しみたかったとか、そういう気持ちは、辞めて数年経った今でも変わりません。
体調を崩したのも、辞めたのも、大学受験を決意したのも春だから、きっと、春の変化を恐れ、春には変化を求めているのだと思う。
とりあえず自分の悪い想像が頭にこびりついて離れません。ふとした時に思い出して恐ろしくなります。
未来に対しての不安が頭をぐちゃぐちゃにして、冷静な判断を難しくさせてる。突発的に自傷したくなる。剃刀をどこかに突き立てたくなる。身体が痛い、頭も痛い。
楽しみにしてることとか、沢山あるのにどうして、私は自分が直面している現実と向き合えないんだろう。
004
連勤中のつむぎです。
朝は6時半、夜1時就寝のサイクルをひたすら続けています。昔は平気だった(眠れなかったともいう)半徹が出来なくなったため、やらなきゃいけないことをこなす時間がないのが近頃の悩み。おはようからおやすみまでバイトを中心に生きてる。
いくつかバイトをしている私ですが、やはり人間関係が一番の不安要素です。特に、含みのある顔や言い方をされると非常に不安になって、言い様のないもやもやが感情を覆い尽くします。「悪口を言われてる?それとも馬鹿にされてる?」
なんてこんなことを考えながらバイトするのがいちばん疲れるし、嫌です。きっとそうじゃないって思っても、やっぱり不安にはなるわけだしね。一度疑い始めると、ずっと疑っちゃうから。こういうことを考えながら気を張って過ごすのは疲れるでしょう。浮気された人が、相手を一時的には許せても、ずっと疑念に付きまとわれるのと同じようなものです。だから、信じられないし、信じるのが怖いのです。
けれど相手を信じることができないっていうことは、すなわち、関係性を深いものにすることができないということ。こう考えると、私に友達が少ない理由もわかりますねぇ、えぇ。私に問題があるわけです。
周りの人を信じられるようになりたいな。
003
天気がいいとうっかり死にたくなりませんか。
なんだか死にたくなるポイントが違うんですよ。晴れてる日とか、夜とか、風の匂いとか、虫の声とか、そういう自然で雄大なものに死を感じてしまいます。ついつい死にたくなっちゃう。愛うららとかこういう晴れた日に聴くと浄化された気分になります。セルフヒーリング。
初めて入院するほど体調を崩した歳からもう随分断つけど、未だ自分のキャパシティを把握しきれていない。「大人」としては決定的な欠点だよねぇ。安請け負いばっかしてるから行き詰まって爆発するのに全く学習できてない。それこそ高校生の時からね!
周りの人たちから認められるって、何でもかんでも助けることじゃないとようやく気付き始めました。ちょっと遅いとも思うけど、気付けただけ進歩してる(高校生の時よりかはね)。
だって最終的に行き着くのは、所謂「都合のいい人」。よくよく考えたら、高校時代から今まで継続的に親交のある友人って本当に少ない。どれだけ献身的に接したって、相手の親愛が自分に向かないなら、アプローチ方法を変えてみようって。
この点も昔よりかは穏やかになってます。昔は「人の記憶に残らない」っていうことに激しい拒絶を示し、さらに周りの人の目に怯えていました。
でもね、でもね、
周りの人そこまで他人に注意払ってない。
いや、もうね、多少被害妄想が残ってても思い込ませてる。だって自分自身でも他人に興味示してないんだもの。電車でたまたま同じ車両に乗った人の顔なんて、電車降りて3秒で忘れるのに……。というかまず覚えないでしょう。
ただ、自分のことをはっきり認識している人(クラスメイト・バイト仲間・その他)に対しては無効だから、やっぱり生きにくさは変わらない。
生きるって難しいよね。
頑張ってるのに、思うようにならないし、理想と現実のギャップに感情がついていかないし。
周りの人みたいに、楽しく生きたいって思っても、過去が負い目になって心の底から楽しめない。
将来は不安だし、自分はこんな人間だし、可愛くも美人でもないし、飛び抜けて頭が良いわけでもない。
せめて普通になりたかった(普通の基準に関してはいろいろあるけど)。
でも、生きていれば自分は自分でいいって思える日が来ると思ってるし、そうなりたいよね。